クリープハイプの欠伸、たまに聞くと良い感じに絶望してしまうから好き。
好きな人に対しても思うところは全くない、なんていうことはなくて、むしろ好きだからこそ目につくし、こういうところがなければもっと仲良くなりたいのになぁと思うことは多々ある。
でも、大体の場合は「それが嫌で切りたい気持ちより、まあ目をつぶって付き合っていきますか」という判断になる。嫌なところはあるし、受け入れてはないけどまあ耐えるかと。
嫌だけどそれ以上に好きだから、まあいいっす。
この範囲が人より狭いんだろうなとは自分でも思う。
母親からの教えが「嫌な思いをするって分かってるんだから、嫌いな人には自分から近づくな」だったのも影響してるんだろうけど、嫌なところって目につくと「じゃあもうこの人と付き合わなくていいな」ってなるわけ。
だからこそ、何度も繰り返し書いてる通り好きなところが100あって嫌いなところが3つしかない人よりも、好きなところが10でも嫌いなところが1つもない人の方がいいなって思うわけ。
で、その好き嫌いって、良い悪いだけじゃなくて性格とか発言とか考え方とか、多様性が許されるべきものでもあるんですよね。
例えば同期が「買い物行くなら便乗しようと思ってます」で往復2時間ほど俺が運転する車に平気で乗ってきて、特に何もなければ「うーーん、、、まぁ俺ならお礼で食事か何かは返すな、、、これを当然と思うなら分かり合えないタイプだな」ってなるわけですよ。
というか、「便乗しようと思ってます」って何やねんと。せめて「一緒に連れていってもらえませんか?」じゃないかと。
でもまぁ、元々俺も買い物に行く予定はあって、それに見返りを求めているわけではなくて、単に「相手の予定と合えば『便乗しようと思ってます』で済ませられる」という感覚の人とはこれ以上一緒に遊んだらストレスだなと言うことは感じているから切る、みたいな。
そういう考え方もあるとは思うけど、人に何かを頼むときにそのスタンスでいられる人はやっぱ無理。
俺がスプラに誘った人を引き合いに出して「実力社会やから抜かれたら入れ替わりやぞ」と煽ってくるなら俺が誰かを誘ってそいつらとやることはもうないなと思ったし、やたらひらがなやら擬音を使うツイートもチリ積もで無理なタイプだなになってくると。
そういうのが少しずつ面倒になって、気がついたらその人はもう無理だなという考えになってくるんですよね。
でもそれってその人が悪いというよりは、考え方とか感覚の違いでしかないし、むしろ俺の許容範囲が狭いだけのヒステリックジジイってだけの話なんだけど、悲しいことにそういう人間なんですよ、ぼかぁ。
サヨナラバイバイじゃあね
またねはないよ!ってよく言ってたな。。懐かしい。。