苦手な人って結構多くて、それにはもちろん理由はあるけど他の人からすると『それも個性』って捉えられるようなことも多い。
たとえば政治に対する愚痴ツイートだとか、スポーツ選手に対する批判なんかなんだけど、『自分ができないことをやってる人たちを万人の目に触れる形で批難するなよ』って思ってしまう。
チャンスを決めて欲しかった、甘い球を見逃さないで欲しかった、GoToやるの心配だねとかなら分かるけど、『あれくらい決めろよ』『バントもできないのか』だったり、『GoToやるのに自粛してしか言わないのは政治家の開き直り』だったり、じゃあお前ならやれんのかいって思うところはあるよね。
○○がいいねしましたで出てきたらリムるかミュートするレベル。
でもそれってそう思わない人ももちろんいるし、何なら言いたいって人ももちろんいると思うんすよ。
ババアの四人(ここでいうババアはJないに来てくれる四人であって蔑称として使ってはいません)がアベノマスク配るぞってなった時に『あべさん大変なのにみんなそんなに叩かなくてよくない?』って言ってたときに心の綺麗さに感動したわ。。
そんな感じで、別にそれってそんなに酷いことじゃないよね、ってことでも無理だなぁ苦手だなぁって感じること話は結構あって、でもそれを他人に求めるのも違ってるよなぁとも自分で思うわけ。
その結果そういう人からは離れていくようになってしまうから友達はなかなか増えない。
そして、そういう人と仲がいいって分かってしまうとその人のことも苦手になってしまうわけさぼかぁ。
感覚があくまで個人的なものでしかなくて、共感されたいわけじゃないから書くと『え、あの感覚のやつと仲良くなれるって同類か??』ってなってしまうわけよ。
別に清廉潔白な人間ではないし、優しくもないけど俺の感覚で『それはないでしょ』って思うことを言ったりやったりする人と、その人と仲良くなれる人に対しての耐性がなさすぎる。
仕事でならいくらでも愛想笑いしてやるけど、趣味やら交遊関係でまでそれはないっすわーあははーって感じ。
だから好きなものより嫌いなものが同じ人の方が長い目で見て絶対仲良くなれる。
ゲスちゃんはその代表例だと思うんだ、、、嫌いなタイプの人が一緒で、だから込み入ったことも話せる。
好きなことも被るところはあるけど、それ以上に嫌いなタイプが同じだから大学も違えば就職先の地域も違うのに仲良くしてもらってますわ。
そういう人の好き嫌いって、別にその人に罪はないのも分かってるけどその考え方は無理ですねって受け付けられなくなる。
そうやって今回も同じ事を繰り返してるなとは思ってるわけですよぼかぁね。
感覚ってなおせるものでもないし、そもそもなおすものですらないんだから、『合わない人だったんだろうな』で終わらせるしかないのかなと。
悲しいけど『そういうところがあってもそれでも好きだから』とはなかなかなれないんだよね。むしろ好きな人ほど引くかもしれない。そういう人だったんだ、って。
好きなものは違っても新しく好きなものが増えるかもだし、全然それでも仲良くなれると思うけど、好きなものが同じでも、俺が嫌いな人・タイプ・考え方の人とはたぶん仲良くなれなくて、それを好きにもなれなくて、だから嫌いなものが同じ人の方が安心して仲良くできる。
悲しい生き方だね。
でもたぶんそういう生き方しかできないのかなと。