AJISAI、何を聞いてもめちゃくちゃ良いのがずるい。
涙が乾いたらは大学時代にめちゃくちゃ好きだった彼女にフラれた直後に行ったイギリスで死ぬほど聞いてた。
Y○U、sayonara terminalに収録されてる歌はその頃を思い出すね。
その当時好きだった彼女に限らず、大学生から社会人序盤の頃って、好きな人に怒ることはできないだけじゃなくて、「こうしてほしい」って希望を伝えることもちょっと恐くてできなかった。
好きな人に嫌われるのって怖いじゃん。
たとえばちょっと「ん??これどうなん??その程度のことに噛みつかなくてよくない??」って思ったとしても、それがある程度距離がある人なら自分から去っていけばいいんだけど、そうではなく好きな人にそれがあると指摘はできないから自分が努めて気にしないようにするしか選択肢がなかった。
当時の俺がそういう状況なのを知ってくれてる人たちは「優しいだけじゃダメだよ」という言葉で嗜めてくれたけど、それは優しさというよりは臆病なだけだよなと自分でも思っていた。
僕結構、人の気になるところが目につくタイプなんですよ。好きなところが100個あって嫌いなところ3つある人より、好きなところが10個しかなくても嫌いなところが1つもない人のほうが仲良くなりたいタイプなんで。
それでも、そういう気になるところがあってもめちゃくちゃ好きだったし、でもそれを指摘はできないというので死ぬほど病んでメンヘラ化して、いろんな人に相談してた。
まだ付き合う前、四回連続でドタキャンされたときは流石に結構落ちて、相談してたら「その子はやめとくべきや」「その子と付き合っても幸せにはなれないよ」とストレートに言ってくれた人もいたんだけど、そんなことは自分でもわかってて、それでも好きだから辛かった。
やめた方がいいよ、が理にかなったアドバイスであっても、自分でも理解していても、それを超越したところにあるのが好きって感情じゃないですか。
対人関係に関わらず、苦しくても走るのはサッカーが好きだからだし、誰にも読まれなくても作家になれなくても小説やブログを書くのは文を書くのが好きだからだし、好きでやってることにメリットがなくても結果が出なくてもやめられないのは好きだからって一言の理由じゃないですかぁ!
だから、誰かがその好きなものとか好きな人によって傷つけられたとしても「それはやめときなよ」って言うのはやめてる。
俺が仮にそう思ったとしても、本人だってそれが分かったうえで続けてるんだから、第三者の俺がそれを引き留めるのは違うなと思ってる。
頭では「これはやめるべきだ」と思っても、それ以上に好きだという感情が強かったら、それを止めることはできないって分かってるし、止められたいわけではないというのも分かっている。止めてほしいなら自分で止まれてるからね。
なので俺は基本的に悩み事は話を聞くだけしかできないんだけど、だからこそ絶対的にその人の味方でいるし、否定はしないって話。
昔は「恋愛の相談をされてもジャニーズが雑誌で言ってたことか少女漫画の知識しか話せないよ」って言ってたね、そういえば。
そんなわけで、俺が言えるアドバイスとか相談とかってないんだけど、それでも敢えてかける言葉があるならたぶんこう言うね。
ぜったい、だいじょうぶだよ。