加藤シゲアキの珠玉の一言。
ここ2年ほど、色んなカードをする人たちで集まって遊んだりする機会が増えて、それ用にグループラインが作られたりチームみたいになったりして活動している。
友達がデュエルマスターズ(デュエマ)というカードゲームをやめたのは、使ってたカードがルール改訂で複数枚使えないように制限がかかったのがきっかけだった。
周りに勧められてデッキを作ったけど、それも使えなくなったし、かといって他を作るほど好きにはなっていなかったのでそのままやめて、他のカードゲームをやっている、と。
とはいえ、周りはデュエマをやってほしい人もいて、中には「このデッキ作ってみない? 強いから!」みたいな誘い方をしている人を目にしたりもする。
別に俺が言われているわけではない(言われたことはある)んだけど、そういうシーンを見かけるとちょっと何だかなと思ってしまう。
物事に対する取組方は人それぞれで、友達はたぶん「好きなイラストのカードを使いたい」とか「好きなムーブをしたい」とかのタイプで、先輩は「カードで勝ちたい」人なんだろうなと。
それ自体についてはどちらも尊重されるべきものだと思うけど、その「勝ちたいから強いカードがいい。だからこのカードを使ったデッキは誰にとっても魅力的であろう」という考え方だったり、その考え方をもとに「こういう強いデッキがあるからデュエマを再開しよう」という提案をする人は、たぶん俺はカードプレイヤーに限らずに苦手。
「自分が魅力的に感じるものは万人にとって魅力的である」という考え方をする人のことを、生理的に受け入れられない。
本人にはたぶんその自覚はないんだろうし、俺が小さなことを気にしているという自覚もあるんだけど、価値観が違うということを自認できない人がたぶん苦手なんだと思う。
友達は「これって××されると弱くないですか?」と返しても「でも強いから!~~も優勝してたし!」という返事になるというのは、友達が知りたいことについての返答ではなくて「自分の希望を押し付けている」としか見えない。
その人にとってはカードの強さが価値観の基準であるのは分かるけど、それ以外の楽しさでカードをやっている人に対してそれを基準に何かを要求するのは間違っている、、、とまでは言えないけど俺は苦手だなって。
価値観の相違の押し付けが許されるのって、例えば仕事で「きついけど頑張れば成果を出せる」となったときに、職場の方針で「きつくても頑張ろう(もしくはその逆)」をとった時みたいに、「こうしなければならない状況」が出来たときにだけじゃないかな。
高校生のときの部活では「一生懸命頑張って少しでも勝ちたい一派」と「適当に運動できれば良い一派」に分かれて、討論をして前者が勝ったし、それを受け入れられなかったやつは退部していった。
自分の価値観を他の人に求めることを止めろ、というのも俺の価値観なのでそれはもちろん言えないし言わないけど、とにかく俺は嫌だなってモヤモヤしてる。
たぶんこれが「何か分からないけど苦手な人」なんだと思うし、悪い人ではないしむしろいい人なんだけど、一緒に遊んでもらったりしてるうちにこういうことが何度かあって、もうそのグループ自体を抜けようかなとも思ってしまう。
自分なりの楽しさを求めてやってるゲームで、「ガチマやれ」もまあ座長が勢いづけて言ってきたりねうぴやみのちかさんやもとらさんがネタで言ってきたりするのは笑えても、何にも分かってないスプラが上手いだけのやつに言われたりしたらたぶん腹立つね。
何でお前の価値観でそれせなあかんのや、と。
リグマで楽しくやるのが好きだけど、そのリグマを楽しむための延長線でガチマをやっているので、ガチマのためにスプラトゥーンをやっているわけではない、という価値観を理解してもらえないならそいつとスプラトゥーンをすることはない。
趣味やら私生活でのそういう価値観に物申したり、こうしたりすればいいよって言うのって、それこそ「結婚しないの?結婚は良いぞ~子どもは可愛いぞ~」って言ってくる田舎のおっさんおばんと同じ存在であるということを理解できてないんだなって憐れむのとお前に言われることではないんでと憤って、モヤモヤが雨雲になってしまう、と。
そんなことを考えていた梅雨の週末。
部費の使い方も釈然としないしカード部やめっかなぁ、、、、