まだSHISHAMOがそれほど有名になる前(とはいえ音楽好きには知られてる頃)に、しげっとが友達に「絶対にバンドマン好きだと思う」と伝えたところ、すぐに「マジでこれ、このメンタル」って返ってきたのに笑った。
こういう気持ちなんだよなぁ。。
しげっとの中で推しと好きな人の違い、もしかしたらプライベートなところに踏み込めるかどうかかもしれんなと最近思い始めました。
プライベート云々というのはあくまで俺の中の基準でしかないけど、たぶんしげっと的には「SNS(特にTwitterとインスタ)と現場以外でも関わりを持つことに抵抗がないか」ということで定義してます。
好きな人の場合、例えばスプラトゥーンに付き合ってもらうだとか共通のコンテンツに誘うとか、そういう相手のプライベートな時間を貰うことにもちろん遠慮や申し訳無さはありつつも、とりあえず突っ込んでみるか!みたいな開き直りもあったりするわけで。
んーーーーというか何だろう、あれだな、自意識過剰だけど何となく「仲良くしてくれそうな人」、或いは「誘いたいコンテンツのことを俺と同程度以上には好きそうな人」にはそういう風に言いやすいのかも。
推してる人の場合、それをするのってオタクとして弁えてない気がするというか、勘違いなんじゃないかというか、まあ俺はできんわな!と。
死ぬほどなおぴと少女漫画について語りたくてもなおぴは推しなので「大阪行くんでお茶しません?? 酒井まゆ、語りません??」とか死んでも言えんし、それってたぶんどう考えても俺がなおぴと話したい気持ちが他の何の感情(ex:お互いに酒井まゆや少女漫画について語りたい気持ちやなおぴがしげっとと話してもいいなと思ってくれている感情)よりも強すぎることを自覚しているからというか。
俺が自分から声をかけることが出来るのは、かつてそれに誘ってもらったことがあるか、俺が誘いたい内容のことを明確に俺と同じかそれ以上の熱量で語れる人か、もしくはもう後が無いときか~だったね、かつては。
推しがその界隈をやめるってなったとき、繋がりチャレンジしがち(反省してる、、、いやしてない)
オタクは距離感を弁えるべき~とか自論で語ってるけど、しげっともよくよく考えたらもとらさんにクソDM死ぬほど送ってるし、ロケ地行きません?とか言ってるし、スプラ誘ったりキーボードもらったり別に弁えてはなかったわ!すまんな!!!!
でも推しに対してそういうことはたぶん言えないね。。
そう考えると俺のなかでの推しの定義、むしろ心の距離感がある人に対して使いがちなのかもしれんなとか気づいてみたり。。
でも!!!担当は!!!心の距離0(だった時期もある)だから!!!
お揃いのアクセ増えたら気づいてくれたから!!!
今日いたんだっていってくれるから!!!!
くぅ~~~!!!!
しまいやしまい!!!!