前々回の記事にも似たような書きましたが、ちはやふるを読み返して改めて太一のことが好きだなぁと。
左利きの天才 右利きの凡才 - 色んな沼にはまったオタク日記
太一のことを好きな理由はたくさんあるけど、10年以上前に見たここが一番その根幹になる気がする。
太一はちはやでの立ち位置を簡潔に言うと「凡才を極めて天才に挑もうとするキャラ」で、もちろん太一は太一で恵まれたものは持っているにしても、より才能があるキャラクターの存在や、自身の運否天賦的な意味での「持ってなさ」に抗っているんだよね。
そういう、「持たざる者の挑戦」でしか伝わらないことって、たぶんある。
自分に才能がないこと、能力が低いこと、要は挫折を味わったときに、「どうせこの僕なんかにと」でひねくれるんじゃなくて、「だから俺はこうやって戦う」で考えられる人って少ないから。
フジファブリックのエイプリル、昔は好きだったけど今は見方が変わってきたね。
やめることや諦めることの理由が見つかったときに、その理由で逃げるんじゃなくて、それに向き合って逃げださないっていうのが、凡人にできる一番の努力だなと思わされた。
特別な才能にじゃなくて、そういう「才能と戦う凡才」に憧れるのは、逃げ出さないことによって磨かれた凡才は、天才に等しくなれると信じているから。
「分不相応な夢」であったり、「やっても無駄」だったり、外野からの評価だったり、そういう挫けそうになることや、自分自身の劣等感、逃げ出したい理由はいくらでもあっても、「それでも逃げ出さない」人に憧れるし、そうなりたいなと思う。
久しぶりに読み返して良かった。
真島太一はやっぱりこれからも憧れだよ。