色んな沼にはまったオタク日記

ジャニーズにサッカー、アイドルに漫画にゲームにアニメに服に。色んな沼にはまったゆるオタ。

八方美人といい人

自分でこういうことを言うのはちょっと恥ずかしいんですが、割と「いい人だね」とは言われるタイプだと思う。

 

「いい人」の定義は人によるところが大きいと思うんだけど、俺の中では「(自分にとって都合が)いい人」というニュアンスがしっくり来てる。

 

別に誰に対しても優しい訳じゃないし、嫌いな人は多いし、鬱陶しいなと思うこともいっぱいある。

 

別にそれを露骨に表に出すわけじゃないけれど、大事なのは好意を使い分けるというか、「好きな人とそうでない人の線引きをする」ということかなっていうのに気がついたのが、10年前くらい。

 

そもそも、「誰に対してもいい人」、要は八方美人なんだけど、その人のことをそれだけで嫌いになることはないにしろ、好きにはなれないタイプなんですよ、ぼかぁね。

 

例えば俺が苦手な人がいて、「この人ならわかってもらえるかも」で誰かに「ああいうところ苦手なんだよねー」って話して、その人がそこで「うんうんそういうところあるよねー、わかるー」と言ってくれたとするじゃないですか。

でも、その俺が苦手な人のことを好きな人と話してて、「あの人素晴らしい人だよね!」って言われたとして、「だよね~!すごいよね~!」って言ってるところを見たら、たぶん俺はちょっと幻滅するし、その人とは距離を置くとおもう。

 

八方美人自体を否定はしないし、処世術として持っていて然るべきだと思うし、もちろん大人は嫌でも付き合っていかないといけない相手っていうのは必ずいるんだけど、それでも「個人的に親しくなりたい相手」という対象ではなくなるよなぁと。

 

以前の記事で「好きなものより嫌いなものが同じ人の方が仲良くなりやすい」って書いたことがあるんだけど、それって要するに「嫌いなものの方が公言することが憚られるから(=お互いに本音を話せている)」っていうことでもあるんですよね。

 

「誰に対してもいい人」ってもちろん存在するんだろうけど、俺はそうではないし。

そうなれるほど心のキャパは広くないし、滅私奉公の気持ちもたぶん持てない。

 

でも、俺が好きな人にとってはいい人でありたいというか、「その人にとっていい人」でありたいなとは思ってる。

悩んでることがあれば話聞いて力を貸したいし、祝えることがあるなら祝いたい。

 

それは「その人のためにしてあげる」っていうより、「自分がしたいからそうしてる」っていう、あくまで主体は自分の感情なわけだけど。

 

そういう「あの人にこういうことをしたいな」っていうのと、「あいつにはもういいや」って線引きを意識的にし始めてから、「誰に対してもいい人」についてはそんな風に感じ始めた。

たぶん特別仲良くはなれないんだろうな、って。

 

なので、俺のことをいい人って言ってくれる人はたぶん俺に好かれてるからだし、たぶん俺のことをクソみたいに思ってる人も一定数はいると思うんだけど、それはまあ、しゃーなしやねって話。

 

八方美人が悪い訳じゃなくて、俺みたいなタイプの場合は深くは仲良くなれるタイプじゃないなって、そういうまとめ。

 

今思うと、大学時代から前職の間くらいって、本当にろくでもないことばかり話してたね、俺(笑)