色んな沼にはまったオタク日記

ジャニーズにサッカー、アイドルに漫画にゲームにアニメに服に。色んな沼にはまったゆるオタ。

きっとこれが運命だ

米村大滋郎『会えますか?』 - YouTube

 

発表されて三桁以上は聞いてたと思うけど、昨晩聞いてたら急にこのフレーズが胸に落ちた。

 

Side Mirrorや都会をはじめ、語弊を恐れずに書くなら少し女々しくも前向きな歌が米村くんらしいというか、俺が好きになりがちな米村くんの歌ではあるんだけど、この歌もそうだなって思ったよね。

 

「君がいないから描くんだ」っていうところが米村くんらしいフレーズだなって感じで最高。

「今は会えない人」だったり「もう戻れない過去」を美化するんじゃなくて、「いつか君に会えますか」って引きずりながらも君がいないから描く、ぅていうのは言い換えると君がいないからこそ描けるってことだもんね、、、

 

自分が会いたいという気持ちがある一方で、それが(今は)叶わないということが必ずしも悪だというわけではないというか。

 

俺のなかでそれが一番顕著なのは鴨川というか、当時はめちゃくちゃ会いたかったし寂しかったけど、その経験があったお陰で小説を書くモチベを取り戻せて、今会いたい気持ちはその頃の気持ちとは変わっている気がするからね。。

 

米村くんのこの数年の活休期間があったからこそそれまで以上に米村くんの歌を聞きたくなったし、今の俺のこの感情は会えない期間があったからこそ抱いたものだと思ってる。

 

「会いたい」ではなくて「会えますか」ってチョイスがまた絶妙で、「会えたら良いな」っていうある種の諦観というか、現実的には会えるとは思ってなさそうなところがまた米村くんらしいんだよ。

 

そうやって、「たぶん会えないけどそうなるといいな」という日々を過ごして気づくわけですね。

 

「きっとこれが運命だ」

 

それが望み通りであれ、「会えますか」と思い続けることであれ、そうやって運命だと受け止められるまで思い続けられるということが救いになっているから。

 

今になれば、小学校の頃から高校まで10年一緒にサッカーをして、初めて試合に出たのも同じだった幼馴染みと未だに一緒にボールを蹴っているのも運命だなって思う。

転職して地元に帰ってきたかった理由は色々あるけど、そのうちの1つは「学生時代にサッカーで勝てなかったのが悔しくて、またこっちでサッカーをしたい」っていうのもあって、今のその仲間にそういうやつがいるのって、凄いことじゃないですか?

(平日の仕事終わりに一時間半運転して会場に来ている僕を、彼は『俺なら絶対来ない』と笑っています)

 

鴨川にフラれて会えなくなって、それをバネに小説を書くようになって、結局それから会うことは無かったけど、会えますかって気持ちは薄れた今でも書き続けてる。

そして、その頃会いたかった気持ちとは違う意味で、また会えたらいいなと思ってる。

TwitterのアカウントもLINEもまた消えてたけどねそういえば、、、 

まあでも、それに対しても必要以上に寂しくならないのは、そういう運命だったんだなと受け止められたってことじゃないかなと。

 

『会えますか?』と問い続けるだけじゃなくて、会えた未来も会えなかった未来も、『きっとこれが運命だ』と受け止められるっていうことを伝えてくれる歌だなって解釈をして、昨日からは今まで以上にこの歌を好きになりました。

 

いつかヨネに会えますか?

いつかねうぴ会えますか?

 

またライブハウスで会いましょう!