学生の頃は「がんばってるね」って言われるのが嫌だった。
勉強だってサッカーだって何だって、好きでやってることを「頑張ってる」って言われるのは、苦しそうに辛そうにやってるように見えるのかなって思ってたから。
高校のサッカー部の部室には『本当に頑張ってるやつはそれを努力だとは思っていない』って、小学校の頃から一緒のチームだったやつが書いてたんだけど、要はそういうこと。
どんなことに取り組むにも、楽しんでそれをやれるやつが絶対に強い。きついことも楽しめるのは才能だよ。
キスマイの横尾くんが一万字インタビューで「がんばってるって言われたくない」って言ってたのも同じような理由だったと思う。
だから俺も、当時は頑張ってるとは思ってなかったし、普通に楽しかった。
練習が終わるって言われたら「もう一本いきましょう、」だし、小説も時間があれば書きたかったし、好きな教科ならもっと色々知りたいなって思ってた。記憶力ってよく言われるけど、興味があることとか好きなことについて覚えるのって俺にとっては当然のことなんだよね。でもだからって表にだしすぎるのは控えます。
話がそれたけど、当時の俺はそれをきついと感じる以上に楽しめていたんだと思うわけさ。
あと、やれることが限られていたからっていうのもあるとは思うんだけどね。
田舎のサッカー部の高校生なんて、サッカーと勉強以外にやることなんて漫画読むかカラオケ行くか釣り行くかくらいよ。今とやってることあんま変わらなくて笑う。
でも、大人になると本当の意味で頑張らなくても楽しいことっていっぱいあるんだよね。
時間は限られるけど、お金は増えるし。
自堕落に家にいても誰からも怒られないし、仕事だって本当の意味で頑張っている人ってたぶん限られてると思うのね。
強いられたうえで「頑張っている(強制)」と、自分がたてた目標があっての「頑張らなくても(自発)」ってたぶん意味合いが全然違う。と、思う。
強制されたことだけを頑張っていることや、自発的に何かを頑張ろうとしないことを、「人生を消化してる」って俺はよく言うんだけど、俺は人生を消化したくはないわけ。
漫然と生きてやらないといけないことだけやって、何かを為すこともなく死ぬのは無理。
『人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短い』
山月記の有名すぎるフレーズですね。
何事かをなせるかなせぬかは結果論でしかなく、大事なのは何事かをなそうとするかどうかだと思うわけさ。
それに対する過程だとか苦労だとか結果とか以上に、それをもててるかどうかって大きいと思う、っていうか目標がなく頑張れる人ってマジでいるの?って思うしね。
何かを成功させたい、こんな人になりたい、こういう風になりたい、それを持って頑張れる人のことを尊敬するし、俺もそうでありたいと思う。
だからコピユニの皆さんのこととか本当に尊敬するよね。仕事じゃないのにそうやってなりたい自分、キャラクター、声優さん、アイドルに寄せていけるのって、何かを為してると思うよ、本当。
強要される努力ではなく自発的な努力って頑張ってるってことだと思うし、だから俺は今もそれができる人でありたい。
人生を消化したくないね。
魂燃やせよ。