どう聞いても良い歌だし、イントロから引き込まれてた。これが今の米村くんの歌なんだなって思うと、それを聞ける幸せでちょっと泣いた。
米村くんへの気持ちっていうのは10年前から一貫して変わってなくて、初めてステージに立つ彼を見たときから、天才だなと確信してる。
少なくとも、俺にとっては疑いようもなく。
米村大滋郎についての備忘録 - 色んな沼にはまったオタク日記
歌がうまいとか。
顔がいいとか。
或いは作詞作曲のセンスだったり、演奏のテクニックだったり、声質だったり。
そういう「米村くんを誉めるときに一般的に出てきやすい言葉」以上に、「米村くんだから」という理由で俺は彼のことも彼の作る歌も好きです。
俺が米村くんを尊敬してずっと好きでいられている理由ってシンプルなんだけど、「辞めない美学」というか、「好きなことを辞めずにいてくれる」ってところが一番大きい。
米村くんがQuestion?を脱退して退所したのは2009だったと思うけど、それからセツナクルーズ(以前のブログに書いた通り、当時としてはかなり珍しく)で歌ってくれて、更にサクラメント、ソロと移っていきつつも、ずっと歌うことをやめずにいてくれるのって、とてつもなくすごいことだと思うんだ。
初めてステージに立つ彼をみたのは2012年の8月で、もうセツナクルーズのチケットもおさえるのが特別難しいわけではなくなってた。
俺だって、行こうと思ったのは数日前に偶然ライブがあることに気がついたからだったわけだし。
赤坂BLITZのお披露目とかはすごい倍率だったって聞くけど、俺が知ってる米村くんやセツナクルーズは、もっと身近というか、近い距離にいる人たちだった。
終演後に物販に立ってたり、MCで絡んでくれたり、そういう経験もセツナクルーズが初めてだった。
それでも、ステージに立つ米村くんは(もちろん他のメンバーの皆さんもなんだけど)めちゃくちゃ輝いてたし、少なくとも俺にとっては前のバンドでもっと大きなステージに立っていた頃よりも、憧れというか、「ああいう人になりたいな」って思わさせられる存在だった。
大きな事務所にいて、人気のあるグループにいて、そこで(コラボとはいえ)CDを出したこともある人が、自分の意思でここにいて歌っている。
その頃よりは小さいステージかもしれないけど、自分の歌で、自分のバンドで、自分の好きなことを続けている。
それって本当に尊いことなんだなって。
事務所を辞めても、好きだからバンドを新しく作って、好きだからソロでも歌ってて。
前の事務所のことをひけらかしてアイドルって売り方をしているわけじゃなく、「俺の歌を聞け」ってスタンスで音楽を作ってくれている。
最高だよ。
その姿に憧れた。
自分が好きなことを、やりたいことを、評価の多少に関係なく貫き通すのって難しいことだって知ってたから。
俺だって小説家になりたくて、でも評価なんてものもなくて、書くのをやめてたからね。書いても意味ないや、って。凄い評価を得ないと書く理由はないと思ってた。
米村くんと出会って趣味で少し書くことを再開した。勘違いしないでほしいけど、米村くんが評価されてないからとかではなく、少なくとも、「誰でも知ってるメジャーシーンのアーティストではない米村くんにこんなに胸を熱くさせられてるんだから、誰か一人でも、ネットで読まれただけでも、『読んで良かったな』と思われる作品を書きたい」っていう、そういうモチベーションで。
その後に知り合った漫画家志望の子(とburnout syndromes)の影響で賞に出して、短編集に載ってうかれてたらその子は描くことをやめてしまってたことを後で知った。
もう描くことはないかな、って言われたことが悲しかった。
めちゃくちゃ落ち込んだけど、それでも俺は書くことはやめなかった。だって俺の憧れは、それでも歌うことをやめなかった米村くんだから。
歌うことも、書くことも、もしくはサッカーについても、それで何かを叶える手段は一つではない。
CDを出さなくても歌えるし、大舞台でなくても響く歌は歌える。
書籍化されなくても物語は書けるし、プロになれなくてもサッカーはできる。
やめなければ、何かを変えられるかもしれないし、誰かに感動を届けられるかもしれない。
そういうことに気がつかせて米村くんだからこそ、俺はこれからも彼に憧れるし、彼の作る歌に涙するし、いつか今よりもっと多くの人に感動を与えてくれると信じてるわけ。
俺たちの前でしばらく歌ってくれなくても、いつかきっとどんな形かで、彼の歌が途切れることはないと信じているから、それを糧に今日も俺は前に進めてる。
次への架け橋 あともう少しさ。
もう少し、俺も頑張ってみましょう。
米村くんの天才な歌を聞きながらね。