誰かに嗤われた夢を今もここで見続けているのは容易なことではなくて、やめたり諦めたりという選択肢が1つの日本人的、大人的な美徳であるということは否めないよね。
「いい歳して恥ずかしい」
「まだやってるの?」
「いつまでこうしているんだろう」
「どうせこの僕なんかに」
外的にも内的にもやめたり諦めたりする理由や言い訳はいくらでもあって、それでも続けられる理由は結局それが好きだからっていうのが一番大きくて。
でもそれだけじゃ折れそうになることだって勿論ある。
好きなだけで何かを追い続けるのはあまりに難しくて、だからいつかのサッカー小僧は「将来の夢はプロサッカー選手です」だったものが「趣味はサッカーです」に変わってしまうんだろうし、或いは「ピアニストになりたい」から「ピアノの先生になりたい」になってしまうのかもしれない。
もちろんそれが悪いことじゃなくて、新しい道を見つけた人だっているだろうし、もしかしたら元々の希望より輝いて見えた人だっているんだとは思う。
それでも追いかけ続けることができる人のことを、俺は尊敬するよ。無条件で、ずっと。
やめない美学が好きだっていう話は米村くんについての記事でも書いたんだけど。
次への架け橋 あともう少しさ - 色んな沼にはまったオタク日記
好きなことを続けることって、言葉で感じる以上に大変なことだよ。
もちろんいつかは終わりが来るものだとしても、満足がいく形で幕を下ろすのは容易ではない。気がついたらやめていた、もしくは「もっとやりたかったけどもう限界」ってことの方が圧倒的に多いと思う。
それを趣味として割りきっているなら満足して終われることだとしても、夢や目標があっての場合はより顕著。
だからこそ、「やめる理由がいくらでもあって」「やめてしまう人も実際に多くて」「それでも追いかけている人」って、夢を叶えた人と同じくらい凄いことだと思うんだ。
そしてあくまでこれは俺にとってだけど、俺ももちろんまだまだ叶えたい夢もあって、書きたい話もあってという立場だから、その人の作品やプレーの質を問わず、そういう人のものがより響くなって感じてる。
大きいステージに立つバンドマンやアイドルの名曲、文豪が記した名作、或いはプロサッカー選手のプレーももちろん素晴らしいし、それに魅力を感じるけど、それとは別種の魅力を感じることもあるわけ。
書くことはもちろん好きだけど、それだけじゃ心が折れそうなときに、あなたが歌い続けているということが支えです。
頑張っている人が他にいるっていうのは、心強いしそれだけだ自分も頑張れるんですよ。
だから俺は、歌い続けてほしいなって願ってる。
少なくとも俺は仲間(?)だと思ってるし、歌い続けている限り、俺はずっとあなたのファンです。
現場に全然入れてない弱小だけど、どんな形であっても歌い続けてくれたら勇気を貰えるし、そうあり続けていてほしいなと思ってる。
以上、ファンレター。
敬具