かぼらファイナルから一年ということで。
Time flies like a arrow.光陰矢の如し。
あまり現場に通いつめるタイプのオタクが出来てたわけでもなかったから多くを語るべくもない、というか語れるほどの者でもないんですけど、ファイナルだけじゃなくて存在を知った鳥フェスの日から、一つの目標というか指針ではあったんだよなと改めて。
そもそもコピユニっていうものの存在よりも先にかぼらを知ったからっていうのもあるんだろうけど、何て言えばいいんすかね、好きだからやれることを突き詰めた一つの形だと思うんですわ。
アイドルはもちろん、サッカーも小説もそうなんだけど、『消費者になれるコンテンツ』をそれだけで済ませないところが最高に好きです。というか、憧れたというか尊敬しました。
アイドルとかジャニーズって、歌を聞いたり現場に入ったり、それはそれで楽しいしほんらいあるべき形でもあると思うんだけど、そうやって自分は楽しむだけでそれを通ることができるコンテンツだと思うわけ。
おなじく、小説は読むだけでいいしサッカーは見るだけでいい。
それを消費するだけじゃなくて生産する側でいることって、学生のうちはともかく社会人になってもそうであり続けるのって難しいと思うわけ。
仕事大変だし。
何かを作るのって疲れるし。
趣味でまでそんなにきついことしたくないし。
ステージに立つのが夢だった、ってももちゃんさんが言ってたのって5thだったかな。
きついこととか辛いことがあるのに、そういう夢とか目標のために、仕事とか学校とかの義務じゃなくて頑張れるのってすごいことだと思うんだ。
ダンスがうまい、可愛い、本家に似てる。
とは違う感動。
そういう感動って、プロが見せてくれるエンターテイメントとは別の色の感動だと思うわけ。
もちろんプロの人たちだって死ぬほど好きで死ぬほど努力してやってると思うし、それに敬意と感動はあるんだけど、そこでは出せない、見せづらい感動があったと思うわけ。
それに取り組めるのって結局好きだからでしかなくて、一つのことにそうやって取り組む姿勢を見て俺もまだ頑張ろうって思えたし、去年の今日見たその火はまだ残ってて、(たぶんまだまだ消え)ないでーす!
無理矢理過ぎた。
まあこれっていまだにサッカーうまくなりたーい!とか、小説家になりたーい!とか、スプラ甲子園めざそー!とか、七五三掛になりたーあ!とか思ってる俺だから感じたことなのかもしれないけど、鳥フェスの日から今日までそんなことをずっと感じてます。
もしかしたらかぼらいぶより先に他のコピユニを知ってたらそこにそういう感動を覚えたのかもしれないけど、結局現実はコピユニって存在よりもかぼらを先に知ってたわけで、つまりはそういう運命。
これってデスティニー?
運命は、英語でいうとDestiny(ハヤテのごとく)
かぼらに会えて良かったです。
サンキューかぼらいぶ!サンキューな!!
またあおうね。