子どもの頃は逃げるとか辞めるとかを悪だと捉えがちだった。
サッカーを途中でやめるのは下手なやつだったし、受験の志望を下げるのは妥協だったし、目標を諦めるのは逃げだった。
ダサいし恥ずかしいことだと思っていたし、今でも俺はそうなんだけど、「できるようになるまでやればいつかはできる」論者なので、今でも好きなこととか上手くなりたいことは、自分のなかでは逃げたくないとも思う。
その一方で、やめたり逃げたり諦めたりということを、否定的に考えるだけでもなくなったのも事実。
例えば仕事を辞めて転職することは、より良い環境や今の職場環境のままでは改善されない何かをよい方向に進めるためかもしれない。
何かを諦めるということは、他に新しくエネルギーを割きたい目標ができたのかもしれない。
先日、組合の研修を受けに行かされて、「仕事をやめないでくれ」と講師が発言した瞬間にドン引きした。
組合員を守るのが組合だとあれほど力説しておきながら、「仕事を辞めるな」というのが一番言いたい内容だったらしい。
組合じゃ守れないような内容、理由が現実的にあるから辞めるという選択肢があるわけだし、「せっかくコストをかけて仕事を覚えさせたのに」と言うのであれば、それは組合の講師ではなく管理職が言うべきじゃないだろうかと。
大学生の時に、カナダ人の教授に「転職なんか当たり前なんだから、就活がうまくいかなくても入ったとこがクソでもいくらでもやり直しはきくんやで」って言われたのがすげーいい意味で印象的だったんだけど、真逆のこといってんなって思って正直軽蔑した。
何かを辞めたり諦めるだけにはなりたくないけど、逃げても他を目指す姿勢や違うなにかに熱量を向けることができるというのは、敬意を表したいものだと思う。
そんな、落ちもない話。