人はそれを思い出補正と呼ぶわけですが、「ずっと最高だと思っていたものにいざ触れてしまうと、案外大したことがなく感じる」ということはままあるわけで。
昔食べた美味しかったご飯、久しぶりに行ってみたらこんなものかと思ってしまうこともあるし、懐かしの推しや担当の現場が思ったほど楽しくなかったり、ずっと引きずっていた昔の恋人に久しぶりに会うと意外と吹っ切れていたり。
過去はもう二度と手に入らないから眩しく見えるということ。
自分の人生を振り返ってみてもそれはままあって、元カノのことは数年引きずって、たまたま久しぶりに会う機会があってあっさり消化したこともあるし、久しぶりに読んだ作家の作品があまり好きでなくなっていたりということもよくあったなぁと。
そういうことに気がつくたびに、「思い出補正はやめよう」と思うんだけど、気がついたらまた「あれはよかったなぁ」と思ってしまうわけで、それはある意味人間の性なのかなって気もする。
子どものころから繰り返し読んでいるライトノベルである「三月、七日。」なる作品の中でもそういう描写、ずっと好きだと思っていた人に触れてしまっても思ったほど感情が高ぶらなかった、みたいなシーンがあって、そういう感覚ってたぶんみんな持ってるんだろうなと思ったりもするわけ。
ずっと好きだと思い込んでいて、でもそれが変わることはないから焦がれ続けて過大評価になるし、だからこそいざ目の前にもう一度現れるとギャップに戸惑って大したことがなく感じてしまうと。
もちろんひさしぶりでも最高だと思うものやことだってあるし、でもそうではないものも同じくらい一定数存在するよねって。
最近、あることで拍子抜けしたことがあって、ずっと考えてたんだけど何か上手くまとまらなかったね。。
あ、ねうぴのことは常に最高だと思ってるのでいつでも自撮まっちょるよ!(隙あらば)