フジファブリックのバウムクーヘン、昔やってたコピバンで練習してたなぁ、、、
「優しいねは誉め言葉ではない」と恋愛界隈ではよく聞くし、実際に俺もよく言われてきた。
高校生の頃、「俺、いい人止まりやからさっ(キリッ」ってチームメイトが話してるのを聞いて爆笑した記憶がある。
こういうときによく言われる「いい人」「優しい人」っていうのは、つまりは「都合がいい人」だということだと思ってる。
もう少し言うならば、いい人や優しい人と形容されるのは、誰に対しても都合がいい人であるという説を唱えたい。
だからあんまり、誰かを紹介するときにそういう言葉をあんまり使いたくない。いや、言っちゃってるんだろうけど、意識的にそれを使いたくはないというか。
いつぞやの記事でも書いたけど、好意や優しさって押し付けるものではなくて、自分でそうしたいからそうしてるわけじゃないですか。
だから、優しいっていうのは抽象的に定義されるべきものではなくて、その人から特定の何かに向かっての好意(ここでいう好意とは広義での好意であって恋愛的なニュアンスに限らない)があってこそ成立するものだと思うんですね。
※頭良さそうな話し方をしたいだけです。
俺が誰かに対して優しい(もしくはそう受け止められる)のは、その人のことが好きだからそれくらいはしてあげたい(もしくは許してあげたい)からなんですよね。
だから、誰に対しても優しいというわけではないし、もちろん優しくないことだってある。
この人なら××されても許せても、あの人には××されたら許せない、みたいなことって誰に対してもありませんか?
好きな人のメンヘラは可愛く見えるけど、そうじゃない人のメンヘラはただの厄介でかまってちゃんでめんどくさい、そう思いませんか?
メンヘラの話を聞いたり、理不尽なことでも受け止められるのって、その相手のことが好き(恋愛に限らず)だからなんだけど、その好きに対してめんどくささが勝ると離れていってしまう。
誰かに対して優しくなりすぎると冷められたり舐められたりする、っていうのはよくある話だと思うけど、逆に言えば優しくされるほど好意を抱かれてると言うことだと思うし、優しくされない人はそれほど好かれてないってことなんだよね。
優しくされる人には、そうされる理由があって、優しくされるべくして優しくされている。
だから俺の優しさは可変動式だし、相手に対してイラッとしたら身を引いてしまう。すぐ人のことを嫌いになるから、昨日までは許せても今日はイラッとすることとかめっちゃあるからね。
なのでまあ、僕は結局優しくなんかなく、好きな人に対して都合のいい人であるよって話。
ねうぴのためならエンヤコラって言いたいだけです(?)