福沢諭吉の生家に行ったのって小学生の頃だったかな。。
ガチ恋オタクとはよく言ったもので、たとえばクラスの同級生や職場の同僚、友達の紹介だったり、現実的に接点がある人のことを好きな人を指して「ガチ恋」と評することはないでしょう。
「ガチ恋」であるためには、前提条件としてガチ恋である方がもう一方に対して熱量が大きいことがあると思うわけです。
(例)
オタク→アイドル、芸能人や有名人
客→ホスト、キャバクラ
つまり、こちら(ガチ恋してる方)からの好意は相手方(される方)からみた場合、多数あるうちの一つに過ぎないと。
「ガチ恋」とはかくして作られて、そして多数の人間は本当にガチ恋をしていたとしたも『他にもこうやってガチ恋してる人はいるだろうし、叶うことはない』と思って諦めるかひた隠しにするか、或いは数年前の俺みたいなクズはメンタリズムを活用して繋がりこっぴどくふられます。
要するに、自分は相手のことを好きだけど、それが叶うとはあまり思っていない、というのが一般的なガチ恋のスタイル。
その一方で、マイノリティな人、つまりはガチ恋してる自分と相手は両思いであると思う人も、残念ながら世にはいます。
この場合、本人は「ガチ恋」という言葉を使うことは基本的になく、なぜなら「ガチ恋であるということは、自分は多数の中の一人である」ということを認めるに他ならないからです。
あくまで自分は「相手から好かれている特別な存在」なので、「ガチ恋の周りの他のやつら」とは一線を画する存在だと勘違いするってわけですね(ごく稀に奇跡的に両思いの可能性もあるけれど、、、)。
そんなわけで、重度の「ガチ恋」である人は、自分が「ガチ恋であることを自認できない」という、不思議な状態が完成するわけです。
酔っぱらいが「全然酔っぱらってないから!」っていうのと同じ勢いで「お、俺ガチ恋じゃないし!!」って言うやつ。
この場合の何が怖いって、本人は自分が特別だと思っているので、いざそれを本格的に拒絶すると逆上されるってところなんですよね。
ガチ恋をされる側っていうのは人の好意を断りづらい立場にいることが多いので、本格的にもう無理であるという状況になるまで拒絶を思い止まってしまうんですよね(俺はそんな立場になったことがないので大阪時代のカス友達の話を思い出しながら書いてます)。
そんなわけで、本人的にはもう限界で勘弁して、なのにガチ恋側からは「あんなに⚪️⚪️も××もしてあげたのに、何を今さら!キィー!」ってなるわけ。
※どうでもいけど「何を今さら」って書くとミスチルの花言葉聞きたくなりませんか?
で、酷くなるとストーカーされたりDMで長文の説教が来て、お互い喧嘩別れで気分は最悪、俺はその話を聞いてニヤニヤする、と(ごみっと!!!cvねうぴ)
そういう、お互いに嫌な気持ちにならずにガチ恋をするための秘訣は自分のことを低く見ることですね。
自分は特別だ、自分はあの人に好かれてると思うから、相手が自分のことを好きじゃないと思ったときに逆上して可愛さあまって憎さ100倍になってしまうので、あくまで自分は多数のファンの中の一人で、特別な存在でも何でもないと思うべきなんですよ。
そして、逆にガチ恋されて困る方も限界まで引っ張るのではなく、早い段階で「お前は多数のうちの一人にすぎないんだぞ」ということを伝える、匂わせるのが大事。
仕事でギリギリまで金引っ張りたい、っていうので泥沼になった報告も何回か受けたけど、精神衛生上よくないし、相手に対して誠実に向き合いたいなら、むしろ相手が求めている好意を返すことはできないと早めに伝えるべきだと思うわけ。
そうでなくギリギリまで引っ張るなら、あとは自分の技でうまく避けてくれと。
そんなわけで、ガチ恋オタクに必要なのは、「自分は特別ではないただのオタク」と自覚することという話。
特別でないと自覚したうえで好意を伝えるのなら、結果は問わずに自分で満足する(もしくは返答を求めない)謹み深さ。
ガチ恋ということを自覚できなければ、そういう距離感の人を好きになるのは向いてないんじゃなかろうか。
あ、僕はねうぴのガチ恋オタクなので、あと一ヶ月ダイエットして桝本買っていきます。