10年前の2011年2月25日、大分の田舎少年だった僕は一人で大阪大学に向かってました。
高校三年の夏、オープンキャンパスで阪大に行ったんだから、本番は一人でも行けるでしょう!と放り出されたのを覚えてる。
当時の俺は本命だった早稲田に落ちてて、これで阪大も落ちたら滑り止めの私大に行くしかないという状況で、でもそこには行きたくない、とはいえ早稲田に落ちて阪大受かるんか??無理ゲーでは??ってとにかく落ち着かない気持ち。
前日の24日からそんな落ち着かない精神状況×ド田舎から大都会大阪に一人で行って、下見やらホテルやら何やら、ひいひい言ってたね。
大阪で一人でホテルに行って、飯食って、次の日寝過ごさないで、ってめっちゃいろいろ緊張してた。
そんなわけで10年前の今日、無事に受験会場に着きましたと。
うちの高校から阪大受けたのは四人で、学年一頭が良かった子(センター840点)、センター失敗して志望を下げた子、慶応受かってた子、何もない僕。
学ラン姿で会場で立ったまま単語帳開いて詰め込んでたら、学年一の子が私服姿でめっちゃ優雅なお母様と会場に来て、すげーいい笑顔で「頑張ろうね!」って手を振ってきて余裕を感じた。
センター利用で早稲田に受かってて、元々早稲田にいくつもりで、先生たちから東大か京大を受けろと言われても「行く気がないし、模試で一位だったんだから勉強しなくても受かる」ってやつはやっぱり違ったね。
そんな感じでちょっと気が抜けてリラックスしてたら、一番最初の科目が選択(俺は日本史)で、その一問目が前日に新幹線のなかでやった問題そのままだったわけさ。
7~8世紀の蝦夷の動きについての論述だったはず。
日本史の論述とかうちの学校のレベルじゃ教えてくれないから、センター終わって詰め込み始めたし、だから苦手科目ではあったんだけど、一問目でそれが来たときに「これはもらったかもしれない」って、少し自信がわいたね。
そんで、それからはあんまり記憶にない。
英語のリスニングは先生に教えてもらったやり方がはまったのは覚えてる。
日国英の三科目を受けて、阪大坂を下って石橋商店街を通って梅田に戻った。
やりきったぞ、って感覚と、もっと勉強頑張れば良かったな、って後悔と。
二週間は地獄だったね。
中期後期の国公立よりは滑り止めの私立に行くとは決めてたけど、逆にやれることもないからそわそわして落ち着かなかった。
中期試験の日が合格発表で、中期の始まる一時間前に結果は出てたんだけど、落ちてたら中期を受ける気がなくなるからって見ずに試験を受けたね。
中期の会場は博多だったんだけど、終わってヨドバシの三階にあるお好み焼屋さんで飯食うようにして、注文してから携帯を開いた。
メールは二通。
合否は姉ちゃんがパソコンで確認したらメールをくれるって約束をしてたら、姉ちゃんからと、友達から一通ずつ。
姉ちゃんからのメールを開きます。
『うーん、、、まあ、来年があるから。切り替えていこうっ😭😭』
実力的に不足してたのも分かってるし、努力不足だったのも自覚してたから、受け止める覚悟はしてた。
悲しかったけど、早稲田に落ちたとき程ではなかったね。
そんな気持ちで、友達からのメールを開きました。そいつはおなじクラスの級長で、みんなに一言ずつお疲れ様か何か送ってんのかなって。
『おいこら!!!!お前は天才や!!!!!!―END―』
????
情報処理が追い付きません。煽りか?とも思わなかった。
そしてあることに気づきます。
―END―
お????これは???
姉からのメールを再度開き、ガラケーの十字キーの下を押してみると、なんと空白がしばらく続き、そして文字が出てきます。
『なーんてね、うそうそ😺 ~~番、ありました✨ 合格おめでとう!―END―』
おいおいおいおいいあいいいいいいい!
お好み焼き屋でのテンションがジェットコースターになり、姉に電話。
「あった?!本当にあった?!」
「あったよー、よかったねー」
「おいいいいい」
そげな感じで合格を知りました、と。
先生からは「10年語り継がれる」「お前の合格が分かった瞬間が職員室が一番盛り上がった」「後輩に希望を与える」と言われ、同級生は「二人受かったって聞いたんやけど、頭いいこともう一人はどっちの人?」と俺が落ちてる前提で声かけてきて笑った。マウントとってやったわ。
大学受験、楽しいことではなかったし、早稲田に落ちた時点で成功とは思わないんだけど、でもやってきてよかったなとも思ってる。
言われた言葉で大事にしてるのが「阪大生、阪大卒であるということよりも、頑張って努力して勉強して、高い目標を達成したっていうことが、いつか苦難に直面したときの自信になると思う」ってやつ。
結局俺は天才でもガリ勉でもなくて、苦労して頑張った結果がそれだったってことなんだけど、何かを達成するのに苦労したり壁にぶつかっても、頑張ればどうにかできるかもしれないって思えるようになったきっかけの一つは間違いなく受験の成果だったと思うね。
もちろん合否や大学が全てではないけど、自分の努力や頑張りを未来に繋げてほしいなと、おじさんは思うわけです。
受験生のみんな、お疲れ様でした!
二日ある人たちは明日も悔いのないように頑張ってください。